私のビデオの歴史
この前、哲人さんと話をしている時にビデオの話になり自分のビデオデッキを購入履歴を語っていたら今度タイムラインにUPして下さいと言われたのですが、正確な購入年などがわからず、過去の写真もどこに行ったのか分からないため見つけられません。
カタログ関係はまだあるとは思いますが、探し出せません。
ネットで画像を探したけどほとんど見つからず、商品名さえ不明な物も、
よって不明瞭ではありますがとりあえず過去の自分を振り返ってビデオデッキの話を記して見ます。
興味のない方はとても退屈な話です、スルーして下さい。
私、AKはTVアニメや特撮が好きなのはご存知と思いますが、その映像を残すために高校&専門学生の頃は8mmカメラでTVを撮影するくらい、好き者でした。
自分が儲け始めたら絶対にビデオデッキを買う!!と決めてました。
職について3ヶ月目ついにその時は来ました!
当時ソニー製品に憧れ、ソニー神話を疑わなかった自分は出来れば、ベータマックスJ1を買いたいと思い電気店へ行くのでした。
1981年の7月
店員にソニーのJ1の事を聞いていると、実は新製品のこちらがお勧めですと出してきたのがサンヨーの製品。
マイコニックE3
実はサンヨーは叔父が勤めており、あまりいい印象がなかった、しかしJ1と比べてソフトタッチで操作でき何よりもリモコンに多彩な機能がついていると説明してくる。
確かにJ1のシンプルなリモコンに比べてスローやコマ送り等も付いている。
注:この当時のリモコンはワイヤード(線がついてます)
スローなどは当時ソニーではJ9の上位機種のみ
さらに店員は突っ込んでくる
ソニーは値引きが出来ません多分J1が198,000だったかな?
サンヨーは同じ位の価格ですが、こちらは値引きします。
155,000円で!心が動いてしまった。
もちろん分割、これから自分のビデオ地獄が始まるのでした・・・
生テープは2時間で1本3500円の時代
Lー750は4500円
最初は楽しくて色んな物を録画し、すぐにテープが足りなくなった。
高画質で残したいがやはり経済的に長時間モードが必要になり録画物がベータIIIで録画するようになっていく。
これが間違いだった、サンヨーのベータIIIの品質の悪さが発覚するのでした。
トラッキングが合わなくなる現象が出たのだった。
トラッキングノイズが再生中に移動する。
これにはガッカリ、と同時に自分を責めたなぜソニーにしなかったのだ・・
その後悔と共に、ビデオをダビング編集がどうしてもしたくなりE3購入の1年後(ローンは終わってました)
82年2台目のビデオデッキソニーSL-F11

これを購入するのだった!!(ボーナス1活払い)
こいつは自分的には大満足満足!!
なんたってステレオ、2ヶ国語録画OK
前回、泣かされたBIII録画も超きれい!!
この頃になるとビデオテープの価格も落ち着いてきて1本1500円位までになってきました。
ディスカウントショップ(非ソニー)
この2台を使いTV録画のCMばかりを集めたテープを作ったり、当時好きだった、原田知世全集??なども作りました。(多分、時をかける少女の全TVスポットを録画していたと思います)
ベストテン番組のアイドルばかり録画して編集してましたが、残念ながら片方のデッキがモノラルのためステレオではありません。
この時期に録画した物たちが結構YOUTUBEでは貴重な物になったりします。
ドラゴン2連発もアニメ映画予告編集に入ってます。
ちなみにドラゴン2連発の前は「小天狗テン丸」です(笑
こうして自分のビデオライフは充実していったのですが、この頃問題が起きます。
巷ではレンタルビデオ店が出来始めます。
当時の入会費3000円
入ったけど・・VHSとベータの割合が明らかに違います。
それとこの頃からビデオコレクションという雑誌で知り合った人たちとアニメ等の録画物のトレードを始めました。
レンタルを借りる事とトレードするためにどうしてもVHSのデッキが必要となりました。
そしてあほなAKさんF11を手に入れた翌年(1983年)ポータブルビデオデッキ
ナショナルアクションマックロードNV-150を購入するのでした。

これによりレンタルは無論のことテープトレードの幅が広がり全国で放映していたアニメや特撮の輪が広がっていくのでした。
中には危ない顧客もいたり・・・
そうこうしている時、ソニーがベータHifiなる物を発表、当時愛読書であったビデオサロンでは高評価!
これがあればHifiと共にステレオダビングが出来るではないか!!!
この頃になると簡単な編集は出来るようになり、職場で編集するよりも自宅で編集する方が画質、精度も高い物ができていました。
トレード仲間の中でも画質がいいとか言われいい気になってました。
ならばHifiも手に入れなければと購入したのが
ベータSL-HF77

ここまでくれば自分的には最強!と思っていました。
しかし、VHSもまけずHifiを発売しました。
自分はベータメインなので問題はなかったけど、仲間に渡す際にNV-150ではモノラルになってしまう。
そんな時にビクターがHQという新たな方式を発表!!
こうなったら買うしかない!!
と思い買いました。
この頃はすでにビデオを購入する際は広島のビデオ専門の卸問屋のようなところで現金購入が当たり前になっており、そこで薦められたビクターHQデッキのOEMのTEACのVHS
名前が分かりません。
時期はいつも夏のボーナス時期に毎年、そのビデオ屋に行き新しいビデオデッキを買ってました。
今考えれば、何やってんだ?って人ですが時代はバブル時期。
車は中古のスバルレックス、女性との付き合いも興味なしでヲタクまっしぐらでした。
こうなってくるとビデオもダビングが大変なのでセレクターを購入しボタンひとつで相互ダビングが簡単に出来るようになっていました。
この頃でベータのテープは700本を越えていたと思います。
そして、ベータ最高だった自分にも少しソニーに不信感が芽生えてきます。
ここで3代目のベータを買うつもりがVHSに走ってしまいます。
同じジョグダイヤルを搭載したHF9000が出ていたにもかかわらず、
VHSの3代目NV-D2000

を購入するのでした。
ベータはHiband化しましたが、VHSにSVHSが発売されました。
この時期にはレンタルにはベータは全くなくなり、購入するビデオソフトもVHSになっていました。
この頃からメインの録画はVHSとなりついに4代目のビクターHR770を1987年に購入

そしてこの時期から職場に業務用の編集機が入るようになった事で家庭でのビデオ編集が非効率的になりビデオデッキの購入も新古品のベーターSL-EX7を最後にビデオの連続購入の歴史も幕を閉じるのでした。
この後は徐々に機械も古くなり壊れて行き処分をして行き今残っているのは中古で買ったベータHF-90D・修理で直したEX-7 SVHSのパナソニックNV-30BS
パソコンの取り込みように買った東芝アリーナA-F100です。
上記が自分のビデオ購入の歴史です。
81年から87年まで1年ごとに1台購入してました。
振り返ってみるとお恥ずかしい限りです。
その間にはソニーのベータムービーを買ったりしてますが、83年頃から趣味がファミコンと同時進行し87年頃からはX68000のコンピューターへと興味がクロスオーバーして行きビデオの趣味がコンピュータへと変わっていきます。
今では両方がPCでこなせるようになりました。
結局、一番酷い時期でベータのテープ900本以上、VHSのテープ500本以上を所有していました。
それらをDVD化出来ればやろうと思い中古のベータデッキを買っては壊れて今に至ってます。

現在の動くか動かないか分からないビデオたち
取り留めのない自分のビデオの歴史を書き込んでみましたが、振り返るとなんとなく自分の息子のやっていることが、似ているので恐ろしく思えるのでした・・・
遺伝子って、怖いなぁ
自分みたいな大人にならないでね。(無理かも)
だらだらと書き綴った駄文にお付き合いくださいましてありがとうございました。
カタログ関係はまだあるとは思いますが、探し出せません。
ネットで画像を探したけどほとんど見つからず、商品名さえ不明な物も、
よって不明瞭ではありますがとりあえず過去の自分を振り返ってビデオデッキの話を記して見ます。
興味のない方はとても退屈な話です、スルーして下さい。
私、AKはTVアニメや特撮が好きなのはご存知と思いますが、その映像を残すために高校&専門学生の頃は8mmカメラでTVを撮影するくらい、好き者でした。
自分が儲け始めたら絶対にビデオデッキを買う!!と決めてました。
職について3ヶ月目ついにその時は来ました!
当時ソニー製品に憧れ、ソニー神話を疑わなかった自分は出来れば、ベータマックスJ1を買いたいと思い電気店へ行くのでした。
1981年の7月
店員にソニーのJ1の事を聞いていると、実は新製品のこちらがお勧めですと出してきたのがサンヨーの製品。
マイコニックE3
実はサンヨーは叔父が勤めており、あまりいい印象がなかった、しかしJ1と比べてソフトタッチで操作でき何よりもリモコンに多彩な機能がついていると説明してくる。
確かにJ1のシンプルなリモコンに比べてスローやコマ送り等も付いている。
注:この当時のリモコンはワイヤード(線がついてます)
スローなどは当時ソニーではJ9の上位機種のみ
さらに店員は突っ込んでくる
ソニーは値引きが出来ません多分J1が198,000だったかな?
サンヨーは同じ位の価格ですが、こちらは値引きします。
155,000円で!心が動いてしまった。
もちろん分割、これから自分のビデオ地獄が始まるのでした・・・
生テープは2時間で1本3500円の時代
Lー750は4500円
最初は楽しくて色んな物を録画し、すぐにテープが足りなくなった。
高画質で残したいがやはり経済的に長時間モードが必要になり録画物がベータIIIで録画するようになっていく。
これが間違いだった、サンヨーのベータIIIの品質の悪さが発覚するのでした。
トラッキングが合わなくなる現象が出たのだった。
トラッキングノイズが再生中に移動する。
これにはガッカリ、と同時に自分を責めたなぜソニーにしなかったのだ・・
その後悔と共に、ビデオをダビング編集がどうしてもしたくなりE3購入の1年後(ローンは終わってました)
82年2台目のビデオデッキソニーSL-F11

これを購入するのだった!!(ボーナス1活払い)
こいつは自分的には大満足満足!!
なんたってステレオ、2ヶ国語録画OK
前回、泣かされたBIII録画も超きれい!!
この頃になるとビデオテープの価格も落ち着いてきて1本1500円位までになってきました。
ディスカウントショップ(非ソニー)
この2台を使いTV録画のCMばかりを集めたテープを作ったり、当時好きだった、原田知世全集??なども作りました。(多分、時をかける少女の全TVスポットを録画していたと思います)
ベストテン番組のアイドルばかり録画して編集してましたが、残念ながら片方のデッキがモノラルのためステレオではありません。
この時期に録画した物たちが結構YOUTUBEでは貴重な物になったりします。
ドラゴン2連発もアニメ映画予告編集に入ってます。
ちなみにドラゴン2連発の前は「小天狗テン丸」です(笑
こうして自分のビデオライフは充実していったのですが、この頃問題が起きます。
巷ではレンタルビデオ店が出来始めます。
当時の入会費3000円
入ったけど・・VHSとベータの割合が明らかに違います。
それとこの頃からビデオコレクションという雑誌で知り合った人たちとアニメ等の録画物のトレードを始めました。
レンタルを借りる事とトレードするためにどうしてもVHSのデッキが必要となりました。
そしてあほなAKさんF11を手に入れた翌年(1983年)ポータブルビデオデッキ
ナショナルアクションマックロードNV-150を購入するのでした。

これによりレンタルは無論のことテープトレードの幅が広がり全国で放映していたアニメや特撮の輪が広がっていくのでした。
中には危ない顧客もいたり・・・
そうこうしている時、ソニーがベータHifiなる物を発表、当時愛読書であったビデオサロンでは高評価!
これがあればHifiと共にステレオダビングが出来るではないか!!!
この頃になると簡単な編集は出来るようになり、職場で編集するよりも自宅で編集する方が画質、精度も高い物ができていました。
トレード仲間の中でも画質がいいとか言われいい気になってました。
ならばHifiも手に入れなければと購入したのが
ベータSL-HF77

ここまでくれば自分的には最強!と思っていました。
しかし、VHSもまけずHifiを発売しました。
自分はベータメインなので問題はなかったけど、仲間に渡す際にNV-150ではモノラルになってしまう。
そんな時にビクターがHQという新たな方式を発表!!
こうなったら買うしかない!!
と思い買いました。
この頃はすでにビデオを購入する際は広島のビデオ専門の卸問屋のようなところで現金購入が当たり前になっており、そこで薦められたビクターHQデッキのOEMのTEACのVHS
名前が分かりません。
時期はいつも夏のボーナス時期に毎年、そのビデオ屋に行き新しいビデオデッキを買ってました。
今考えれば、何やってんだ?って人ですが時代はバブル時期。
車は中古のスバルレックス、女性との付き合いも興味なしでヲタクまっしぐらでした。
こうなってくるとビデオもダビングが大変なのでセレクターを購入しボタンひとつで相互ダビングが簡単に出来るようになっていました。
この頃でベータのテープは700本を越えていたと思います。
そして、ベータ最高だった自分にも少しソニーに不信感が芽生えてきます。
ここで3代目のベータを買うつもりがVHSに走ってしまいます。
同じジョグダイヤルを搭載したHF9000が出ていたにもかかわらず、
VHSの3代目NV-D2000

を購入するのでした。
ベータはHiband化しましたが、VHSにSVHSが発売されました。
この時期にはレンタルにはベータは全くなくなり、購入するビデオソフトもVHSになっていました。
この頃からメインの録画はVHSとなりついに4代目のビクターHR770を1987年に購入

そしてこの時期から職場に業務用の編集機が入るようになった事で家庭でのビデオ編集が非効率的になりビデオデッキの購入も新古品のベーターSL-EX7を最後にビデオの連続購入の歴史も幕を閉じるのでした。
この後は徐々に機械も古くなり壊れて行き処分をして行き今残っているのは中古で買ったベータHF-90D・修理で直したEX-7 SVHSのパナソニックNV-30BS
パソコンの取り込みように買った東芝アリーナA-F100です。
上記が自分のビデオ購入の歴史です。
81年から87年まで1年ごとに1台購入してました。
振り返ってみるとお恥ずかしい限りです。
その間にはソニーのベータムービーを買ったりしてますが、83年頃から趣味がファミコンと同時進行し87年頃からはX68000のコンピューターへと興味がクロスオーバーして行きビデオの趣味がコンピュータへと変わっていきます。
今では両方がPCでこなせるようになりました。
結局、一番酷い時期でベータのテープ900本以上、VHSのテープ500本以上を所有していました。
それらをDVD化出来ればやろうと思い中古のベータデッキを買っては壊れて今に至ってます。

現在の動くか動かないか分からないビデオたち
取り留めのない自分のビデオの歴史を書き込んでみましたが、振り返るとなんとなく自分の息子のやっていることが、似ているので恐ろしく思えるのでした・・・
遺伝子って、怖いなぁ
自分みたいな大人にならないでね。(無理かも)
だらだらと書き綴った駄文にお付き合いくださいましてありがとうございました。